ゲイノナイゲイ

モテナイオイラニアイノテヲ

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携帯電話の常識

『携帯電話の常識』というと、ブログや何かで色々な意見を見かけるが、殆どの物が『マナー』についてである。
しかし俺にとって『携帯電話の常識』という言葉は、
全く違うことを連想させる。


俺は携帯電話が嫌いだ。

どこにいても連絡が取れるし、
メール機能がついてからは、ますますその使い勝手は良くなった。
そういう機能的な面では、とても重宝している。

その反面、居留守が使えなくなり、
電話一本で、一人になりたいときや、
二人でムフフな時(あまりないのが悲しい)でも、
対応を迫られるようになった。



俺にとって携帯電話は、「ビンボー」の象徴だと思える。
これは経済的な問題だけじゃなく、もっと広い意味での、
心の余裕というものまで含めた意味でのものだ。

毎日あくせく、時間を気にしながら生きて行かねばならない人にとっては、とても便利なものだ。
しかし、それとは真逆の、時間にも金銭にも余裕のある生活を求めている俺にとって、この『携帯電話を持つ』ということが苦痛でならない。



先日、友人(ノンケの職人)から携帯電話に連絡があった。
ちょうど俺は仕事中で、電話があったことにすら気づかなかった。
小1時間ほどして携帯を見ると『着信アリ』
『なんだろうなぁ』と思いつつ友人に連絡すると、いきなり

「なぜ電話に出ないんだ。何のために携帯電話を持っているんだ!」

と言われてしまった。
俺は意味がわからず『???』となっているうちに、友人は

「連絡を取りたい時に連絡できないのなら、携帯電話の意味がない」
「電話に出られなかったのなら、なぜもっと早くコールバックしてこないのか」
……云々。


彼は決して『ジャイアン気質の俺様野郎』ではない。
それどころか始終回りに気を使う『気配りニーちゃん』である。
『気が良い善良なオッサン』である。
俺とは20年来親しくしているから、気兼ねせず言ったのだろうが、
俺にとっては、太陽が真っ青に見えるほどの衝撃だった。

『携帯電話をこんな認識で捕らえているなんて…』

絶句である。


気を取り直し、まだ電話口に「ガーガー」言ってる友人に、

「俺は人の都合のために携帯電話を持っているんじゃない。
自分の都合のために持っているんだ」
「俺は仕事中で、いちいち携帯電話のチェックなんてしてられない」
等等、言いたいことを言ってやった。



そして肝心な用件はというと、

「晩飯を食いに行こう」

だった。



電話を切ってふと頭をよぎったのは、
以前にも似た経験をした時のことだった。
当時は付き合ってた彼女がいて、
そのコからやはり同じようなことを言われたことだった。


友人や元彼女にとって、
『携帯電話を持っていて着信があった時は、必ず電話に出て対応する』
事が『当然の常識』なのかもしれないが、
俺にとっては、

『電話をかけるのはそっちの勝手』
『電話に出るのはこっちの勝手』 なのである。


友人も元彼女も二人とも、真面目で少々融通が利かない所があるが、
気さくで何に対しても一生懸命でイイ奴なのだ。
しかしそういう奴はえてして、
全ての事を自分の尺度でのみ判断し、自分の尺度で測れない物・事を、
『間違っている』、『常識から外れている』と排斥することが多い。
自分の価値観に合わないものを認めないのである。

それだけなら、俺も
『認めないのはそっちの勝手』
と我関せずなのだが、そういう輩はそんな俺を放っておいてくれない。
何かと理由をつけて『常識』を押し付けてくる。

『自分はりょうのために正しいことをやっている』
という確信犯的な思い込みが、俺にとってツラい。


俺にとって『携帯電話の常識』という言葉は、
『思い込み』を『常識』として『押し付けられる』事を連想させる。


勘違いな『常識』を押し付けずに、
俺を放っといて下さい。














でも世間から放って置かれて、寂しい夏を過ごしてます(涙)

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